C04835 陽炎園 オンライン セ〃焼安南写茶碗 久田宗也箱書:真作

  • 商品説明・詳細

  • 送料・お届け

商品情報


C04835 陽炎園 セ〃焼安南写茶碗 久田宗也箱書:真作。
C4835高さ:8.3~8.4センチ 最大径:12.9センチ 口径:12.0~12.5センチ。
状態:良好。高台内に押印「セ〃」あり。
膳所焼の歴史は江戸初期から始まりますが、沿革は湖南の国分焼、大江焼、などがあり確立していません。通説では、元和7年(1621)膳所城主の菅沼織部定芳が御用窯として始めたものと言われています。定芳は諸芸に通じ、本阿弥光悦、松花堂昭乗、小堀遠州、金字院崇伝、等と親交が深く、茶陶の名窯といわれる膳所焼の創始者としてふさわしいと考えられます。このような関係からか、光悦が膳所の土を取り寄せて造ったいわゆる膳所光悦が数碗つたえられています。菅沼氏のあと膳所城主となった石川忠総(1583-1650)は小堀遠州政一の門下生で遠州の指導のもとに近江八景の一つ、勢多の唐橋の近く、大江の地に窯を築いて茶陶のみを焼かせました。世に遠州七窯の一つとして名のある膳所焼きはこの大江窯のことだとされています。大江窯では特に茶入がすぐれており、中興名物の銘[大江]の茶入などがそれと考えられ、茶入の名手として陶工太郎右衛門の名が記録にあります。遠州好みの茶陶を焼くのに適した良土と窯であったと思われます。その後、膳所窯は延宝年間まで焼成されたとされますが、茶入、水指など遠州好の茶陶は城主忠総一代だけでした。江戸時代末期に近い天明年間の膳所の地では、御用窯ではなく民間の窯、梅林焼(ばいりんやき)があります。古膳所(こぜぜ)の特色である黒褐色の鉄釉とはまた違った、はなやかな釉調に特色が見られます。湖南の景勝地にはぐくまれてきた膳所の名窯にも幾たびかの途絶えがあり、梅林焼のあとはなく、わずかに雀ヶ谷焼が伝えられるだけですが、近代になり大正8年(1919)、遠州ゆかりの茶陶の名窯の廃絶を惜しんだ膳所の人岩崎健三が、時の日本画壇の巨匠、山元春挙とともに膳所窯を復興し、その工房を陽炎園としました。現在、膳所焼は茶陶として揺るぎない地位を持っています。


商品説明文で不明な点は質問より
お問い合わせの上、解消してから入札検討ください。領収証の必要な方は落札後のメッセージに 宛名と共に、すぐお知らせください。但し書きは、基本商品題名 を記載していますが 長い場合や、商品名と関係ない所は手書きのため省略をしたりもしています。これも何かあれば、早めに仰ってください。


ほかにも出品しています。よろしければご覧ください。


残り 4 45,546円

(631 ポイント還元!)

翌日お届け可(営業日のみ) ※一部地域を除く

お届け日: 01月01日〜指定可 (明日12:00のご注文まで)

  • ラッピング
    ラッピング
希望しない
希望する ( +600円 )
希望しない
数量
同時に5点までのご購入が可能です。
お気に入りに保存

対応決済方法

クレジットカード
クレジットカード決済
コンビニ前払い決済
コンビニ決済
代金引換
商品到着と引き換えにお支払いいただけます。 (送料を含む合計金額が¥288,248 まで対応可能)
ペイジー前払い決済(ATM/ネットバンキング)
以下の金融機関のATM/ネットバンクからお支払い頂けます
みずほ銀行 、 三菱UFJ銀行 、 三井住友銀行
りそな銀行 、ゆうちょ銀行、各地方銀行
Amazon Pay(Amazonアカウントでお支払い)

大量注文に関して

30個以上かつ10万円以上のご購入はこちらからお問い合わせください

お問い合わせはこちらから